AKS療法サロン東京、代表の山内 義弘です!
はじめまして、AKS療法サロン東京の代表で、理学療法士(physical therapist)兼、徒手療法士(chiropractor)の山内 義弘(やまうち よしひろ)と申します。
痛みやしびれをはじめとした お身体のことならどんな問題でも対応させて頂けるよう、AKA – AKS療法専門のサロンを設けました。
AKA – AKS療法を通してあなたが痛みやしびれのない、健康な生活を送れるよう誠心誠意お手伝いをさせて頂きます。
プロフィール
私が、いかにしてAKA療法に出会い、AKS療法を開発するに至ったか、過去の経験を通じてご紹介致します。
患者様の気持ちを痛感した学生時代
私は小学 ~ 大学まで、ず~っと野球をやっていました。来る日も来る日も白球を追いかけて… その間、まぁ色々な怪我をしました(^^ゞ 野球肩、野球肘をはじめ、股関節炎、ねんざ、指の骨折、アキレス腱炎など挙げればキリがないほどです。その中でも2つの辛いケガは今でも忘れられません。
1つ目のケガは小学4年の秋に患った野球肘です。この時は「自分の痛みを周りが理解してくれない」と悲しみに暮れました。私はこの時、学校の軟式野球部に所属して、既に上級生と対等にプレイしていました。ある日、親友の父親がクラブチームの硬式野球の入団テストを勧めてきたので迷わず受けることにしました。しかし、テストのために固くて重い硬式ボールを投げまくり、右ひじを痛めてしまいました。結局クラブチームへの入団は断念、小学野球部に戻ることになったのですが、待っていたのは右ひじ痛との闘いでした。昔は痛みで休むなんて考えられない時代でした。治療はというと、接骨院でお湯に手を突っ込んで電気を流す治療を続けたのですが改善せず、学校では野球部の監督だけでなく担任の先生も厳しく、右手をかばって左手で投げるとやる気がないと怒られたものでした。そんな痛みに半年耐え、冬に1か月ボールを投げない時期があったので何とか痛みは治まりました。
今思えば、周りが理解してくれないのではなく、「自分が症状をしっかり伝えられていなかった」のだと思います。今ではスポーツのケガで悩む学生や痛くても仕事を休めない方に、なぜ痛みが起こり、場合によってはなぜ休む必要があるのかを誰にでも説明が出来るように伝えています。
2つ目のケガは高1の秋に患った腰椎分離症による痛みです。肘の痛みは野球さえしなければ普通に生活できます。しかし、この時の腰痛は歩くことさせままならなかったです。
私は走ることが大好きで、しかも走りで誰にも負けたくありませんでした。(陸上部でもないのに。)高1の夏からレギュラーになり、夏休みは必死に練習をして、帰宅してからも近所の公園へ盗塁の練習をしに行ったものです。そのお陰でものすごく足が速くなったのですが、その代償はあまりにも大きかったです。ある朝の朝食後、立った瞬間、腰に激痛が走りました。人生で初めて味わう衝撃の痛みです。もちろん野球どころではありませんでした。
まず、近所の接骨院に行き、腰に対する電気治療を続けましたが全く改善しませんでした。次ははり治療です。一瞬楽になったような気がするのですが、腰を少し反ると激痛が走ります。どんどん痛みは強くなるので、ここでようやく近所の整形外科(当時は外科だったかも)に行き、レントゲンを撮ってもらいました。結果、なんの異常もなし、湿布だけもらって終わりでした。それでも医師に食い下がると、大きな国立病院を紹介されました。ここでもレントゲン。高1で一人で大きな病院へ行き、何か大きな診断を下されるんじゃないかという不安は思い出すと今でも胸が締め付けられます。 診断結果は腰椎分離症。しかし特別な治療はないから湿布で様子見。。う~~ん、途方に暮れて、もうこのまま腰の痛みが治らないんじゃないかと思いました。見るに見かねて母親が手をかざしたり、シールを患部に貼るだけの治療を探してくれたりして、本当に周りに迷惑をかけていました。
そんな痛みが3か月ほど続いたころ、高校野球部のOBがある治療院を紹介してくれました。そこの先生は当時では珍しく、徒手療法(カイロプラクティック)を行うということで私はわらをもすがる思いだったことを今でも鮮明に覚えています。
最初の治療は 徒手療法による骨盤の調整。刺激はかなり強い物でした。
少し楽になった気がしたが、腰を反ると激痛。痛みは全く変わりませんでした。
しかし先生は、「絶対に良くなるからしばらく通って」と言ってくれました。
私は先生の言葉を信じました。なぜなら、人を疑ったことがなかったからです(^^;
2回目も同じ治療でしたが全く変わりませんでした。
そして3回目。治療方法がガラッと変わりました。骨盤に原因がないと判断した先生は私の両足を持ち上げながら腰骨を軽く調整しました。(物足りない刺激だ。わたしは心の中でそう思っていました)
たったそれだけの治療のあと、痛みを確認してと言われました。 腰を恐る恐る反ってみると。。
全く痛くない!! えっ これだけで!!
まさに私の運命を変える治療でした。
その後、5~6回の治療で痛みは完全になくなり、高1の春には全力で野球が出来る喜びに満ち溢れていました。
(この時の喜びが今の治療の原動力となっているのは間違いないです)
それからは、ケガをするたびにこの先生に見て頂くようになりました。
わたしは先生の言葉を信じ、治らなくてもあきらめない、そしてあきらめさせない姿勢に信頼を覚えました。
そして、ただ同じ治療を繰り返すだけではなく、患者の状態に合わせて本当に悪いところを治していく技術に憧れを感じました。
この時、心の中で密かに思っていました。
いつか、先生のように「この先生に見てもらえば何とかしてくれる」っていう存在に自分もなりたいと…
理学療法士になるきっかけ
高校時代に素晴らしい治療家と運命的な出会いをした私ですが、大学は電子工学科に進むことになります。大学でも野球部に所属した私ですが、1にバイト、2にスキー、3・4がなくて 5に野球(いつ勉強するんだ?)と、今となってはお恥ずかしいくらい学生生活をエンジョイしていました(^^ゞ
そんな中、大学 3年の秋に全国大会に出場できることになったのですが、大会 1週間前に右手小指を骨折してしまいました。当時主力として頑張っていたので、チームのみんなにかけた迷惑と試合に出られない悔しさは今でも忘れることが出来ない思い出です。(なぜ骨折したかは恥ずかしくてとても言えません(;^ω^))
そんな学生生活を経て社会に出るのですが、就職先はなんと建築設計事務所です。もともと私の父が家具や店舗のオーダーメイド木工職人をしていたため何か関わりを求めていたんでしょうね。
この設計事務所では電子工学の知識を生かし、看護大学をはじめ区役所、中学校、イオン、市立大学などの公共施設を中心とした電気設備設計に携わらせて頂きましたが、その中で自分の運命を変える物件に出逢ってしまいました。
某市民病院の建築設計です。この時、リハビリテーション室の詳細を調べている時に理学療法士というリハビリ専門職の存在を知ってしまったのです。
ほんとうに素晴らしい職業だ! 「私も病気やケガによる障害に対するリハビリを行って患者様の復帰に役立ちたい」と。
そう思った年の春に理学療法科に入学、3年後無事に理学療法士になることが出来ました。
出逢いと開発
私は学生時代から既にAKA-博田法を学びたいと思っていました。そして念願かない、理学療法士免許取りたての一年目から富士山のふもとにあるAKA-博田法専門の整形外科に勤めることになりました。
そのとき同時に、AKA-博田法を極めようと北海道、沖縄、栃木から新たに勤める理学療法士が集結していました。
当時は朝早くから診療の準備をして、夜の九時過ぎまで患者様が見えて、それからAKA-博田法の技術研修と正直すごくしんどかったです。研修が終わると夜遅くまで飲んで、その足で富士山に登ったこともありました(^^ゞ
ほんと全国から集まった戦友である仲間達がいたお蔭で弱音を吐かずに頑張れました。もちろんすべてはAKA療法をはじめ医療のイロハを教えて頂いた院長の存在があってこそなので、感謝の気持ちでいっぱいです。
このようにして出逢ったAKA療法は自分でもびっくりするくらい、次々と患者様の痛みを改善していきました。寝違い、ぎっくり腰、腰痛、股関節痛、膝痛、ねんざ、どんな痛みでも治せないものは無かったです。しかし唯一、改善が難しい症例がありました。
「五十肩」です。
当時はAKA療法を駆使して五十肩を改善しようとしていました。しかし、AKA療法は関節が原因となっている痛みを改善することが得意ですが、筋肉が原因となっている問題を改善することは苦手でした。
そうです。五十肩は肩の筋肉(腱板)が固くなることにより、周りの組織と癒着してしまう病態だったのです。ここで、私は固くなった筋肉がスムーズに伸び縮みできるようにする技術を開発しました。
「AKS療法」です。
AKS療法は選択的に狙った筋肉をスムーズに働かせることにより、五十肩に絶大な効果を発揮することが出来ました。最初は五十肩のために開発した技術ですが、今では全身のどの筋肉にも対応できます。
どの関節の動きも改善するAKA療法、どの筋肉の柔軟性も獲得できるAKS療法、この二つのテクニックを組み合わせることによって、5分くらい歩くと下肢が痛くなる『脊柱管狭窄症』や座ってても片側の脚に痛みやしびれが出てくる「椎間板ヘルニア」も改善できるようになったのです。
痛みの原因を明らかに出来るようになった意外な理由とは
私が自信を持っている技術。それは『痛みやしびれの原因が何なのかを明らかにする』評価です。
機能的な評価に基づいてAKA – AKS技術を施すことにより、痛みの原因が
- 関節にあるのか
- 筋肉にあるのか
- 神経にあるのか
を明確にすることが得意です。
私が治療家を目指して早20年ほど経ちます。理学療法士となったその時からAKA療法を専門で行い、病院の整形外科や脳神経外科で医師とともにリハビリテーションを患者様に提供してきました。私が巡り合った医師たちの診察や診断はとても素晴らしく、的確な処置や指示・処方により多くの患者様が笑顔で健康な生活を取り戻していく姿を鮮明に覚えています。
しかし、なかなか改善が難しい症例も多くありました。腰痛や下枝の痛みを主訴とする「脊柱管狭窄症」や「椎間板ヘルニア」です。これらの疾患はほとんどの場合、医師の診察(問診や神経学的検査)の後、レントゲンや MRIによる画像診断により病名が下され、リハビリの指示、薬の処方がされます。
ここで、しばらく症状の経過観察がされるのですが、画像上明らかな脊柱管狭窄やヘルニアによる神経圧迫所見がある場合は最終的に手術を勧められます。
このように、薬を服用しても、果ては手術をしても痛みが消えなかったり、しびれが再発する症例に何度も苦い思いをしました。
なぜか…?
ヒントは意外なところにありました。総合病院の建築設計です。この時私は、ある部屋の照明器具が点灯しなかったことを思い出しました。
その原因は…
- 照明器具自体の問題(痛みがあるところ自体の問題)
- その部屋のスイッチの問題(神経と筋の接合の問題)
- 電気配線の切断やうまく電気が流れない(末梢神経が切れていたり、神経が筋肉に絞めつけられている)
- 配電盤ブレーカーのoffや故障(脊柱管が狭くなったりヘルニアが脊髄や神経を圧迫している)
- 中央指令室でoffになっている(大脳自体の問題)
などなど、色々原因を追究しました。建物とヒトの身体の成り立ちは意外と似ているんですね。そして気づかされました。
そうだ、「脊柱管狭窄症及び椎間板ヘルニアの手術は ④の配電盤ブレーカーのoffや故障(脊柱管が狭くなったりヘルニアが脊髄や神経を圧迫している)にしかアプローチしていなかったんだ」と。
私は ① ~ ⑤すべての問題にアプローチしようと思いました。しかし、そのためには正確な検査方法が必要でした。建物(骨格)の見た目の構造だけでなく、うまく機能しているかの検査です。
例えば、右下腿外側に痛みがある場合の原因は…
- 関節(仙腸関節や椎間関節)からの関連痛
- 臀部の筋肉が神経を締め付けている
- 不良姿勢により脊椎に負担がかかっている
- その筋や皮膚自体に問題がある
- 明らかにヘルニアが神経を圧迫している
などが考えられます。
これらを順番に打ち消していくために、私は ①関節の機能検査、②筋肉の機能検査、③①②に問題がなければ姿勢(脊椎の彎曲)の検査をして原因が追究できるようになりました。
このようにして、意外な建築経験から、痛みの原因が…
- 関節にあるのか
- 筋肉にあるのか
- 神経にあるのか
を明確にすることが出来る機能的な評価方法を生み出すことが出来たのです。原因がわかれば、アプローチ法は極めてシンプルです。
関節が原因の場合はAKA療法、筋肉が原因の場合はAKS療法、神経が原因の場合はAKA – AKSにより姿勢をコントロールして、脊柱管狭窄症や椎間板ヘルニアの症状を改善できるようになりました。
山内義弘に治療してもらえば何とかなるという存在に
このように、理学療法士である山内 義弘が機能的な評価と AKA -AKSを徒手療法(chiropractic)として、あなたに提供するべくAKS療法サロン東京をご用意いたしました。
脊柱管狭窄症や椎間板ヘルニアだけでなく、五十肩、膝関節痛、ぎっくり腰、脳梗塞後遺症、など何でも構いません。いつでも、どこでも、どんなお身体の問題でも私に診させていただければ何とかさせて頂きます。是非、AKS療法サロン東京へお越しください。
「山内 義弘に診てもらえばなんとかしてくれる」
あなたのそんな存在であり続けたいと心から思っています。
経歴
- 資格
- 理学療法士(physical therapist)
- 徒手療法士(chiropractor)
- 介護福祉士(Certified Care Worker)
- 介護予防運動指導員
- 研修機関
- 名古屋大学医学部付属病院
- 社会保険中京病院
- 高浜市民病院
- 春日井市民病院
- 鹿児島大学病院霧島リハビリテーションセンター(川平法習得)
- 勤務
- AKA専門クリニック(AKA-博田法習得)
- 整形外科、脳神経外科クリニック
- リハビリ訪問看護ステーション